「校正の21世紀スタンダード」をめざす 皆さんは「校正」の言葉から何をイメージされるでしょうか? 作家の先生が万年筆でさらさらと書いた原稿、それがきちんと活字になっているかどうかゲラ(校正紙)と引き比べて、赤鉛筆で一字一字チェックする……。 かつては主流だったそんな校正風景は、一昔もふた昔も前のことになりました。 今や原稿の8、9割はパソコンやワープロで作成され、校正の仕事に求められる課題は大きく変貌しています。 引き比べる原稿はなく、生の校正紙に立ち向かって表現や書かれた事実そのものを検証し正していく「校閲」的な作業が、多くの校正の現場で当然のように要求されているのです。 それなのに公的には、校正業は「書籍等の制作・編集」業務において「校正等を専ら行うような補助的な業務」と言いなされ、補助的な単純労働と見なされています(労働者派遣法施行令第4条19号)。 この規定は、ぜひ撤廃していただきたいものです。 その一方、ネット社会が到来する中で、かつては一握りの人々に独占されていた「活字を用いての表現」が万人のものになりました。内容や表現の適正さをチェックされることなく、誰もが、好きなことを好きなだけ発信できる環境が生まれたといえます。 活字文化の一般化・大衆化は、まさに歴史を画する事態として歓迎されるべきことですが、美しく端正な日本語にとって、これは危機的な状況でもあります。 あるとき仕事で「凡時徹底」という言葉に出合いました。言葉として意味をなさないので変だと思い、国語辞典では一応権威である小学館国語大辞典(全10巻)にあたりましたが該当なく、インターネットで検索しました。すると、『凡事徹底』という本を発見、文脈ともピッタリで、やはり時ではなく事が正解でした。 ところが驚いたことに、グーグルの検索では、「凡時徹底」という誤字も大量にヒットし、そのヒット数は正解を上回っていたのです(どうも、ネット辞書の誤りに起因しているようです)。こんなのは全く卑近な一例にすぎません。 漢語を基本としつつ世界中の言語を貪欲に吸収し取り入れ変容し、しかもその本質を失わずに存続し続けてきた日本語の生命力に打たれつつ、だからこそ守るべきところは守っていきたい。言葉を扱う仕事の一隅に身を置くものとして、今の日本語の危うさにもっと注目していきたいと切実に思います。 さて、一校正者としてではなく、ささやかなりとも企業を運営するものとしての立場に立てば、高度情報化社会のもとで、 活字を媒体とするビジネスの比重がかつてなく大きなものになっていることも間違いないところです。チラシに始まり、商品説明やマニュアル、カタログ、通販ブック等々。そこでは、1つの数字、1つの記号や文字の誤りが重大な損害に結びつきかねません。まさにしっかりした校正者の出番です。 こうした社会の変貌に対応した「役に立つ校正」をヴェリタはめざします。 有限会社として設立以来10年有余を閲し、歩みは遅々たるものですが、クライアントの皆様、同業の諸先輩、大勢の心優しい仕事仲間、そしてヴェリタの血であり肉である社員の皆さんに支えられてここまで来られたことに感謝いたします。 さらに「校正の21世紀スタンダード」をめざして、ともに進んでいきましょう。 2009年 春 |